2012年2月20日月曜日

森毅 数学者






「物事はひとつに決まった正解がないのが当たり前で、正解がないからこれから正解を探す。ゆっくり探したらええがな、という」

京都大学の名物教授、森毅(もりつよし)さん。2010年に80歳没。昭和3年東京生まれ、豊中市に引っ越すと母親に連れて行かれた宝塚歌劇にハマった。昭和 21年東京大学数学科、歌舞伎、三味線にこり、あらゆる学部にいって様々な学問に、おもしろいものに何でも首を突っ込む精神は健在。決まったものをやるの が苦手で、文化系の知り合いがいて数学の歴史にも興味がいって、数学教育に興味をもつと全ての教科に、数学史をやっている文化全体に興味がわく、おもしろ いからやるで、でそっちいっちゃって。


正しさというのは、なかなか人に伝わらん。ところが楽しさの方は割に伝わるんです。「これおもろいで」とかいうのは。芸能は楽しさをいかに広げていくかということでしょ。正しさはどうでもいいわ、と僕は思うんです(笑)

若者に対しては、

正解を求めたがる傾向が強まっています。わからんまま正解を求めるっていうのはみんな苦手でね。正しい答えを求めて、特に因果関係を求めた がる。そんで、どうなるか分からんけれどそのうちだんだん分かってくるでというのが減ってますね。だいたい、訳が分からんことがあるから研究するんですか らね。すぐに答えが出ないこと方が当たり前ですからね。この50年に科学にしてもいろんなことがわかりましたよ。僕の子供の頃は、DNAも地球もプレート もクォークもビックバンも何もなかった時代ですよ。そしたらね、普通に考えたら、あと50年たったら全く分からんことが出てくるで、というほうが仏の考え でしょ。分からんことがあるから気になるわけで。最近、心配なことが。若者が無駄を嫌いすぎるんですよ。無駄を覚悟で変わったことをしてくれんと、若者に ならないですけどね。

高齢者に対しては、

人生80年一つのコンセプトで生きるのは流すぎるので、20年ずつ 区切ると4回生きられる、そう思ったほうが気楽でないか。そう思うわけです。人生20年4回説。60代以降、晩年をいかに生きるかっていうのをテーマにし てまして。30代、40代の遺産で生きるのはつまらんで、と。そこで思い付いたのが20年説。人間の細胞というのは全部入れ替わっているんですよね。頭の 中の回線も切り替わっているんだと。だから、赤の他人みたいなもんです。80年もひとつのコンセプトで生きるのは長すぎて、人生一筋なんてのは、あれは人 生50年時代の話だと。20年ずつと思ったら、そしたら4回あるねんから。1回くらいどうでもと思ったら次があるわさと、そう思ったほうがええんちゃうか と。


老後の安心と言いすぎる。固定した世界を求めすぎる。いくらか安心したほうがええけど、未来の安心を求めすぎると、自由さがなくなる。気楽にぼけーとして無駄かもしれんけど楽しいで、と言ってると移る。そのほうが未来に対しても希望が持てるやないですか。




強さが素敵だ。

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